top of page
検索

一語一会  文書版更新 【第29回】

今回のタイトルは

【やっぱり心次第】


イニシャルY

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 おそらく、多くの方が「かしもの・かりもの」の教えについて触れるきっかけとなりますのは、自分にお見せいただく大きな身上、事情からなのではないでしょうか。本来であれば助かっていないところを助けていただいたり、長期間悩まされていた病気が癒えたりなど、さまざまなきっかけを通して「自分は生かされている」「親神様の御守護によって、毎日元気に通らせていただいている」と気付かせていただくと思います。


 私の場合、そういった大きな身上や事情を直接お見せいただいたことがほとんどありません。しかし、これまでお道の信仰者として生活してきた中で、大切だなと感じたことがあります。それは、心の使い方です。私たち人間の身体は親神様からのかしもので、唯一自由に使うことができるのが心だとお教えくださいます。私が体調を崩したり、都合の悪いことが起こったりするときは、決まって自分中心の心遣いをしているときです。


 最近ですと、日中普段通りに御用をしていたとき、突然激しい頭痛に襲われました。あまりの痛さに他のことが手につかない状態でしたが、しばらく安静にしていると痛みはスッと引きました。今はネットで調べれば大概のことが分かる時代です。頭痛の原因を自分なりに調べますと、おおよそ体質やストレス、寝不足といったものが挙げられており、何となく自分にも当てはまる部分がありましたので、納得していました。しかし、ふとお道の信仰者として何か原因があるのではないかとよくよく思い返しますと、やはり忙しい毎日故に、陽気に勤めさせていただくこと、親神様の手足となって勤めさせていただくということを見失いかけていました。私はすぐに神殿へ足を運び、今の通り方や考え方を反省し、今後は自分のためではなく、周りのため、神様の手足となって勤めさせていただくことを心の中でお伝えいたしました。


 おさしづに、

「人間というものは、身はかりもの、心一つが我がのもの。たった一つの心より、どんな理も日々に出る」(『おさしづ』明治22年2月14日)

とあります。


 私たちの身体は、親神様からのかりもので、心だけが自分のもの。そして、その心の使い方によって、お働きくださいます。つまり、心が曇れば親神様からのお働きも十分にはいただけなくなります。


 今では、ちょっとしたささいな出来事も「これはもしかしたら神様からのお知らせなのでは…」と日常的に自分の通り方を見直すと同時に、心の曇りに気付かせていただきます。


「そばがいさめばかみもいさむる」(『おふでさき』第1号11)


とありますように、私たち人間の心が勇めば親神様も同じように勇めるとお教えくださいます。これからも、日夜お働きくださる親神様への感謝を忘れず、心勇んで陽気に勤めさせていただきたいです。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


ありがとうございました。

過去の一語一会文書版はこちらから


閲覧数:37回0件のコメント

最新記事

すべて表示

Comentários


記事: Blog2_Post
bottom of page